遭難報道と「自己責任論」について

山岳遭難が報じられるたびに、「捜索費用は個人負担にすべきだ」
「趣味で山に行くのだから自己責任だ」といった声がネット上で
見られます。
 その気持ちは理解できますが、自己責任論を強めすぎると、
結果として公共サービスそのものを弱体化させてしまいます。
山岳救助は、一部の登山者だけを特別扱いするものではなく、
自然の中で人が活動することを前提に社会が維持してきた公共
インフラです。「危険な行為だから自己責任」という考え方が
広がれば、管理された場所や効率の良い活動だけが残り、自然
と向き合う営みそのものが公共の領域から排除されていくでし
ょう。
〇山岳会は「事故を減らす側」
 実際には、山岳会は無謀な登山を助長する存在ではありません。
 ・技術・知識の共有
 ・経験者による山行計画のチェック
 ・天候・体調・装備への慎重な配慮
 これらを通じて、事故を未然に防ぐ役割を果たしています。
 未組織登山者の単独行などに比べ、事故リスクは低くなり
 ます。
〇問題は「誰も助け合わない社会」になること
 遭難を自己責任として切り捨てる考えが広がると、
 ・助けを求めにくくなる
 ・早期通報が遅れ、被害が大きくなる
 ・結果的に救助の負担が大きくなる
 という逆効果があります。
 「助け合わない社会」は、安全で強い社会ではありません。
〇山岳会の役割
 山岳会は、
 ・国家でもなく
 ・商業サービスでもなく
 ・家族でもない
 地域と人をゆるやかにつなぐ中間的な存在です。
 山を楽しむ自由と、安全を両立させるために、
経験や知識を共有し、責任を分かち合う場でもあります。